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東寺 (2)東寺の歴史

20090903_minamidaimon東寺(京都:地図)(1)弘法大師(ブログ)の続き。今回は「(2)東寺の歴史」。写真は「南大門」。

まず、奈良時代の律令体制の立て直しをはかるため、桓武天皇が都を平城京(奈良)から長岡京(京都)を経て平安京(京都)に移したことから始まる。

◆平城京から長岡京、そして平安京へ
平城京(710年)は、大きな川から離れており、物資などの輸送が困難で用水不足という問題があった。それに、奈良仏教が政治と結びつき、政治に介入する僧も出てきて、仏教が一つの政治勢力となっていた。

20090903_keigamon長岡京(784年)は、それらを克服するために遷都された。近くには桂川、宇治川などがあり、既存仏教勢力や貴族勢力に距離を置くためにも好適地だったのである。しかし、日照りによる飢饉、疫病の大流行や、皇后や皇太子の発病、都の中を流れる川が氾濫し、大きな被害となる。

平安京(794年)は、そういう経緯で遷都された。そして、国家鎮護の寺として都の南である羅城門の東西に「東寺」(796年造営)と「西寺」を建立したのである。つまり国立の寺院である。正式名称は「教王護国寺(きょうおうごこくじ)」という。

上の写真は「慶賀門」。駐車場の入り口である。

◆東寺の歴史
794年:平安京に遷都する。
796年:東寺の造営が始まる。
(804年:空海、遣唐使として唐へ渡る。806年:空海、帰国)
823年:嵯峨天皇は東寺を空海に託す。
825年:空海、講堂および講堂諸尊の造営を始める。
826年:空海、五重塔の造営に着工する。(835年:空海、高野山に入定)
839年:講堂諸尊の開眼供養をする。
883年:五重塔完成。
895年:食堂に千手観音像を造立する。(921年:空海、弘法大師を賜る)
1055年:五重塔、落雷により焼失する。
1197年:文覚上人、東寺を修造する。運慶一門、講堂を修理する。
1233年:大師堂に弘法大師像を安置。
1336年:足利尊氏、本陣を東寺に置く。
1486年:伽藍焼失する。(五重塔・大師堂など残る)
1491年:講堂の再建始める。
1497年:講堂の大日如来像を再建する。
1568年:信長、入京し東寺を宿所とする。
1596年:講堂など大地震により大破する。
1599年:豊臣秀頼、金堂の再建に着手する。(1605年完成)
1603年:金堂の薬師三尊像を新たに作る。
1605年:北政所、講堂を修復する。
1635年:五重塔焼失する。(四度目)
1641年:徳川家光の発願により塔の再建を始める。(1644年完成)
1994年(平成6年):世界遺産に登録される。

20090906_shojinku 後白河法皇の皇女である宣陽門院(せんようもんいん)は、東寺に莫大な荘園を寄進する。また、「生身供」(しょうじんく)という空海が今も生きているがごとく、毎朝食事を捧げる儀式や、「御影供」(みえく)という毎月21日の空海の命日に供養を行うなどの儀式を創始した。この「生身供」は、今も御影堂で一の膳、二の膳、お茶を供えている。
写真は朝食の一例。左奥からごま豆腐、高野豆腐の煮物、漬物、ごま和え、ごはん、味噌汁。

何度も落雷や火事に遭遇するけれど、多くの人たちに守られ、愛されてきたお寺なんだなあと実感する歴史である。

創建当時の建物は残っていないが、南大門(重要文化財)から金堂(国宝)・講堂(重要文化財)・食堂と直線的に並ぶ伽藍配置は、奈良時代の寺院の姿をしのぶものである。五重塔が4回焼失しているということは、5回も建て直していることになる。京都にとってシンボル的な五重塔は、なくてはならないものだったのだろう。高さ54.8メートルの木造塔としては、今も日本一の高さを誇る。電車から五重塔が見えてくると「もうすぐ京都駅だな」って思うものねぇ。

次回に続く。

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